修行エッセイ
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2004年6月25日(金) 空手の稽古も色っぽく
空手に限らず武道はその力を技術と体力に分けることができる。野球やサッカーでもそうだ。
運動理論によると技術というのは一度身に付くと失いにくく、体力は失いやすいという傾向があるらしい。5歳の時に覚えた自転車は、60年乗っていなくてもすぐに乗ることができるが、ペダルを漕ぐ力は衰えてしまうというのが一つの例だ。
稽古のやり方としてはこの二つを分けて行う方法と、一緒に行う方法がある。
たとえば、体力面を鍛えようとしている人がスポーツジムでベンチプレスをやるとすると、これは全くの体力面強化であって、技術面の稽古は含まれていない。そして、突きや蹴りのフォームをゆっくり反復する稽古は、技術面の稽古であって、体力面を目的には含まない。
こういう体力技術分離型の稽古に対して、体力技術合体型の稽古もある。「正拳突き500本!」とか「前蹴り100本」なんていうのがそれだ。
毎日稽古する大学の空手部ならいろいろと組み合わせて稽古することができるが、社会人が週に1度の稽古に参加するとなると、それは効率的とは言えない。どうしても道場では技術面の稽古に特化することになる。
そうすると体力面は自分で別に稽古しなくてはならない。
そういう意味で僕はスポーツクラブに通っている。自転車を漕いだりベンチプレスをやったり、馬みたいに動き回るシートの上でバランスをとったりしている。
美女トレーナーとヘラヘラ笑いながら冗談を交わしていても、ビッグバストのおねえさまに目を奪われていても、どういうつもりかわざとらしくTバックが透けている悩殺女性に顔をゆるませても、しっかりと体は締めている。これはれっきとした空手の稽古なのである。
空手の稽古もこうしてみると結構色っぽいな。