修行エッセイ
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2003年6月25日(水) 2段昇段審査
2003年6月25日。これが僕が会長にお願いした、2段昇段試験の日だった。
4月頃、会長に「そろそろ2段を受けてみないか?」と突然言われ、候補日を提示された。
「まだ早いのではないでしょうか?」
と、僕は答えたと思う。
こう答えた理由は二つあった。
まず、技術的な問題だ。
2段といえば師範資格を持っている人もいる。フィリピーナK師範がそうだ。K師範は小柄な体で、バランスのとれた綺麗な空手をする。組手でもつれても体制が崩れない。基本のしっかりした人だ。
それに、同じ道場生仲間の阿弥陀如来S氏も2段だ。彼は手が何本もあるように見えるほど両手をグルグルと回すユニークな構えをし、「フン! フン!」と鼻息が荒くなるともう大変。向かうところ敵なしの実力派だ。彼は僕よりもあとから入門したが、極真会館の黒帯をもっている経験者だったので、少し前に2段に昇段していた。
この二人をみると、自分の力量はとうていそこには及ばないと思っていた。
もう一つの理由は、体力だ。
2段昇段には15人組手がある。1人あたり2分で30分の連続組手をこなさなくてはならない。10人組手だって7,8人でストップがかかることがあるのに、15人はきつい。もともと持久力がない上に、発作性心房細動で不整脈を持つ自分には厳しかった。しかし、僕の目標は当初から初段ではなく2段だったので、1年半ほど前からそれに向けての筋肉と持久力アップのトレーニングを行っていた。
しかし、まだ十分とはいえず、不安があった。
でも、「いや、もうその実力はあると思う」と会長に言われ、受験を考えてみることにした。
受験を決めてからの稽古は、「組手に慣れる」ことを改めて意識して、恐怖心を一切捨てて、楽しく組手をすることを心がけた。そして次ぎに、無駄な力を抜き、冷静に相手の動きを見て、軽々と技を繰り出すことに集中した。よけいな力を使っていれば、攻撃していなくてもどんどん体力は消耗してしまう。
以前、3段に挑戦したロボコップN師範が約20人を相手に淡々と組手をこなすのを見ていた僕は、N師範に質問した。
「なんであんなに疲れないんですか?」
するとN師範はこう言った。
「連続技でもフェイントと本気を取り混ぜていて、フェイントではかなり脱力しているんだ」
みんなが期待した、「ロボットだからだ」という答えではなかった。
「フェイントを出すのに、クラさんは力を使いすぎてる。フェイントはもっと脱力して出すんだ。しかも、本気の攻撃と見分けがつかないようにね」
ロボコップN師範は、あたかも連打をやっているように見えて、その中にフェイントとねらい澄ました突きを織り交ぜていた。しかし、外からは、思い切り突きを出しまくっているように見える。あれでへたらないのが不思議だったが、そういう技術が隠されていた。それ以来、フェイントでは脱力することを心がけた。
15人組手1ヶ月前くらいになると、稽古の度に会長が調整の時間をとってくださった。頭で考えていた色々なことを試し、体得するのに大いに役立った。
ところが組手を数週間後に控えたときに、問題が起きた。それは心臓だ。今まで発作性心房細動だったのが、慢性心房細動に移行してしまった。つまり、薬を飲んでいれば抑えられていた不整脈ではなく、常時不整脈になってしまったのだ。
不整脈が起きると、なにもしていなくても苦しい。とくに、ひどい不整脈の場合は、立っているのも辛い状態になる。15人組手のとき、そんな状態だったら、達成は絶望的だと思えた。
組手前日、「明日は会社を半休しよう」と決めた。仕事を午前中で済ませて、午後は家でゆっくり昼寝をして、体調を整えようと考えたのだ。不整脈を軽くする方法が他に思いつかない。
ところが、また問題が起きた。
なんと、組手の当日に娘が盲腸炎で入院する事になってしまった。小児科クリニックで初診を受け、総合病院で検査し、入院病院への転院手続きと、朝から晩まで動き回った。午後7時半までには道場へ行かなくてはならないのに、入院が完了したのは午後7時だった。
そしておまけにもう一つ問題が重なっていた。それは、僕のゲリだった。
僕の腹は朝から調子が悪く、娘を連れて行った病院でも何度もトイレに行ったり来たりしていた。完全なゲリピーで、おまけに気にしていた不整脈もかなり悪化している。その状態で娘を連れてあちこち走り回っていたので、疲れ切っていた。とても15人組手をやる状態ではない。
娘を家内に頼むと、僕は家に立ち寄り、トイレにこもった。組手の最中に下痢便をばらまくわけにもいかないので、腹の中のものを全部出すつもりで踏ん張った。
そんな状態だから、食事もとれない。用意しておいたバナナを一本鞄に詰めると、僕は道場へ向かい、その道すがらバナナを食べた。
歩きながらゴロゴロと鳴り響くお腹と、乱れ打つ心臓の鼓動を聞きながら、僕は次第に、「今日は延期していただこう」と思い始めていた。
家を出て約10分で道場に着いた、そして中にはいると・・・・・・。
「あ、きた!」
「おお、きたきた」
「押忍!」
「クラさん、がんばってください」
いっせいにみんなの注目が集まった。おまけに、目黒や世田谷の道場生も来ているし、見学者らしき人までいて、大にぎわいだ。
「あれ・・・・・・これどうなってるの?」
「もちろん、クラさんの15人組手のために、みんな集まったんですよ」
なんてこった。これじゃ、「今日はやめます」とは言えないじゃないか。
これでやめたら、独演会を開いておいて、客を目の前に「本日は、取りやめでーす」と言うようなもんだ。チケットを払い戻せ〜と言われてしまう。まいった〜。
すると会長が近づいてきた。
「押忍!」
「おう、クラさん、体調はどうだい?」
「最悪です」
「え、そうか・・・・・・」
「でも大丈夫です。やれます」
つい言ってしまった。
しかし、不安はあるものの、楽しみにしていただけに、なんとか強行したい気持ちも確かに強かった。
「ええと、今日はクラさんの15人組手だから、みんなまずは準備体操から始めて・・・・・・」
と、会長のかけ声で準備体操がはじまった。
「オレ、ゲリしてるんだよ。ウンコ漏らすかも・・・・・・」
そう組手のトリを勤めてくれるジープマンに言うと、
「やめてくれ。頭蹴られてもいいけど、ウンコは嫌だ!」
と言うだけで、「それじゃ今日はやめたら?」なんて言わない。
「もしでちゃったら、尻蹴りしてやる」
「そ、それだけは・・・・・・」
こうなったらもう、覚悟を決めるしかない。ゲリ便KOになったらそのときのことだ。
僕はすぐに頭を組手に切り換えた。そして、改めて作戦を確認した。
1.練習の相手をしてやる、という気持で臨むこと。
2.相手の攻撃間合いに微妙に入り、相手に技を出させて、それをかわすことを基本とする。
3.相手の緊張、集中力のとぎれを見て、確実な攻撃を仕掛ける。
防具は受験者に選択権があり、双方が同じ防具をつける。いくら蹴っても平気なハードな防具もあれば、あってもなくてもあまり変わらないペロペロの防具もある。とうぜん、頑丈な防具の方が楽だ。
しかし、僕はあまり考えずにペロペロ防具を選択した。
この防具で15人はまずいかもしれない。一発強烈な中段蹴りでも食らえば、最後までそのダメージを抱えてしまう可能性もある。でも、より実戦に近い形でやってみたい、という組手を楽しむ気持が、どうしても捨てられなかった。この防具だと面白そうだと、すぐに思ってしまったのだ。
組手が始まった。実際に組手に入っても、あらかじめ立てた作戦はかなり実践することができた。
1人、2人、3人、4人、5人・・・・・・ペース配分は正しい。行けるかも知れない。
6人、7人、 8人目、9人目・・・・・・7人目で突然疲れがでた。それは、精神的なものが大きかったように思う。7人と言えば、10人組手ならあと一息だ。ところが、15人となると半分も来ていない。そう思ったとたんに、辛くなってきた。
心臓の鼓動を感じる。完全に不整脈だ。ゲリの方は・・・・・・まだ大丈夫らしいが、当然体調は悪い。おまけに、プロボクサーライセンスをもつ世直しマコチャン茶帯は親のカタキでも見るような形相で襲いかかってくる。この人は、電車の中で行儀の悪い若者を教育するのが趣味で、先日は満員電車で構わず電話を続ける若者の携帯電話を取り上げ、片手で握りつぶして破壊した。最近では蹴りも強烈になっており、かなりダメージを受けた。
10人目・・・・・・やった、10人目まできた。ここまで来れば、リタイヤしてもさほど悔いはない。イヤ、本当にそうだろうか。自問自答した。いや、そんなことはない。
11人目・・・・・・ここで体の異変を感じた。左腿がうまく動かない。筋肉がつりそうな、そんな気配がする。多分、だれかの下段蹴りの影響だろう。
12人目・・・・・・何度か、左腿が痙攣しそうな兆候を感じた。肉離れかも知れない。ここで動かなくなったらリタイヤだ。でも、12人まで来たら、リタイヤなんてごめんだ。しかし、左中段回し蹴りを受ける右腕も異常に痛い。
13人目・・・・・・左腿の痙攣は収まったようだ。しかし、右腕は限界に近い。次ぎに左回しが来たら、脛受けか、あるいは受けを捨てて、反撃しよう。
14人目・・・・・・相手は元ボクサーのボクサーI初段。彼は小柄なので、スピードで勝負してくるタイプだ。僕の攻撃を待って、それをかわした直後に飛び込むという手法を常としている。それが分かっているから、フェイント攻撃をして、彼がでてくるタイミングでカウンターを入れようと考えた。前蹴りのフェイントを出す。すると彼が軽いフットワークで下がって避け、すぐにステップして飛び込んで来る。僕はそこにカウンター・・・・・・と思いきや、体が動かない。足がでない。もう一度やってみる。今度は突きのフェイント。同じように彼が飛び込んでくる、そこにカウンターを・・・・・・やっぱり足が動かない。こうなったら無駄打ちをしないで、チャンスを待とうと、作戦を変えてみたりしながら、何とか踏ん張った。
15人目・・・・・・でてきたのはジープマン初段。回りから「最後だぞ〜」という声がかかった。何人もがそういって励ましてくれた。でも、僕の中では「最後に1人」という戦い方をする気にはならなかった。
頑丈な防具の場合、筋肉が弛緩した状態で強烈な中段回し蹴りをもらっても、防具が守ってくれる。しかし、ペラペラの防具でモロに入ってしまうと、それだけでダウンし、続行不能となる可能性が高い。だから、「立っているだけがやっと」、という状態になるわけにはいかない。それはとても危険だ。蹴りが来たとき、体を締めるだけの気力と力が必要だった。それでも、最後に突きの打ち合いになったときには、体のバランスを保つのも難しい状態になっていた。
みんなの歓声に包まれながら、15人組手が終わった。誰の攻撃にも手抜きは感じられなかった。本気でぶつかってくれた。
両手足が痛い。体全体が怠い。しかし、それよりもやり遂げた快感が強かった。
多くの人数と組手をすることに何の意味があるのか。10人、15人とやることが、どうして昇段の基準となるのか、という意見もある。しかし、攻め方やリーチや得意技が異なる元気のいい選手が代わる代わるかかってくるというのは、1人の人と何度も組手をしたり、時間をおいてから相手を変えて組手をするのとは、明らかに違う体験ができるし、技量が試されると思う。そしてなにより、組手好きにはこたえられない楽しさがある。
このような機会を与えてくださった会長、相手をしてくれた面々、応援してくれた人たち、みなさんに心より御礼申し上げます。
それにしても最後に相手をしてくれたジープマン、「蹴られたよ〜。顔を蹴られた〜ぁ。いたい。顔はオレの商売道具なのに〜」と言っていたが、そんな仕事だったかなぁ? それに彼の顔は蹴っても殴っても、あまり造形の変わらない作りだと思うのだが・・・・・・。
僕の15人組手挑戦はこれで終わった。